慶長十年(1605年)豊臣秀頼により再建。当山諸堂宇中最も古い建物である。 恵心僧都最終の作、本尊阿弥陀如来が納められている。如来の腹中に恵心僧都が彫刻でお使いになられたノミが納められていることから「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されている。
万延元年(1860年)の完成。
楼上正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額がある。
法然上人の御真影として屈指のものである。
毎年四月二十五日の御忌法要に於いて一般拝ができる。
古く、くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重の塔に安置されていたが、平成20年に御影堂に遷座された。
この本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作。
万延元年(1860年)の完成。
楼上正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額がある。
尊皇攘夷、風雲急を告げる京都市中警護のために藩主松平容保は任命され、文久二年(1862年)十二月二十四日入洛、くろ谷に本陣をかまえた。
法然上人が入滅される二日前、建暦二年(1212年)正月二十三日に筆をとって弟子の勢観房源智上人に与えられたことで有名。
毎年四月二十三日御忌法要に於いて一般内拝ができる。